沖縄では、線香の燃え方に意味があるよ、と教えられることが多くあります。
例えば、写真のように燃えてあとの灰が、崩れずに花のようにひらいているのは、先祖が喜んでいるそうです。
あとは、赤々と燃えるのも良いとされています。
ではダメな例とは?と聞かれることがあります。
しっかり火をつけたのに、途中で火が消えてしまったり、灰の中に線香の燃えていない部分が多く残っていたりということをよく言われます。
よく「拝み不足」「あの世からのメッセージを受けとれていない」と言われますが、私たちは先祖が「伝えたいことがある」ときにこういう現象が起こるととらえています。
これも、受け取り方によるのかな、と考えていますが、「不足」は悪いことが起こるのではなくて、伝えたいことがある、それをこちら側も気持ちを大きくもって、一気にはわからないけど、少しずつ自分たちのやり方ですすめていきます、と伝えることが大切ではないかと思います。
「心をこめてやれば大丈夫!」というのを極端にとらえてしまうことがないようにしたいなぁと常に思っています。
ユタやお坊さんや、親戚のおばさんや両親、その他の周囲の人にいろいろ言われることがありますが、結局は自分たちが何を学び、何を信じ、どう行動していくかが大切なのではないかと考えています。
これだけ情報があふれていて、地域によっても違うという仏壇事に関しては、正解はないと思っています。
ただ、「絶対やってはいけないこと」を知った時点で「改善したい」という気持ちがあるかどうかが重要ではないでしょうか。
昔からあなたは仏壇を持ちなさいと言われて、何十年も仏壇を持っていましたが、しっかりと自分たちで系図を起こして調べていくと、その人が持つべきではなく、別の人が持つべきだとわかった事例が2件ありました。
1件目は、本来の持つべき人はそれを拒否。元々持っている人が「預かり仏壇」として預かることが決定しました。
もう1件は、本来の持つべき人に持たせることを親戚一同賛成で一致。疑問点を1つ1つつぶしていき、3年をかけて正しい形に戻していきました。
どちらが正しいとか、どちらが間違っているかではなく、全員が学び、理解しようとして、そして結果を出した事に対してはいろいろなやり方があるのでそれはその家庭によっても答えがかわってくるのは当たり前だと思います。
これもうまく伝わればいいのですが、極端な考え方ではなく、柔軟な考え方が必要になってきますね。